キング牧師の思想と行動は

2月 4th, 2010 by admin

二つの時期に大別される。

前期は、モントゴメリーのバス・ボイコット運動の開始から1965年のセルマ‐モントゴメリー行進に至る時期で、キリスト教の教えとガンディーの市民的不服従思想を結合した非暴力的直接行動による法的、制度的な差別の打破を目ざす運動が、南部を中心に展開された。

66年のシカゴにおける仕事や住宅の確保、学校における真の人種統合を要求する運動で開始される後期は、実生活の諸領域に現実に存在する差別や貧困の打破を目標とするものであり、ここから、キングはベトナム戦争反対の立場を明確にすると同時に、貧しいうえにしばしば未組織の黒人労働者の闘争を積極的に支援するようになっていった。

この運動が十分に発展し成果をみる前にキングは凶弾に倒れたが、彼の行動の軌跡は、今日の黒人解放運動の課題や解決の方向をよく示している。

ランボーはフランスの詩人で

7月 16th, 2009 by admin

1854年―91年、北フランスのアルデンヌ県シャルルビル市に生まれる。

陸軍大尉の父と、近郊ロシュ村の小地主の出の母との間の次男であるが、父は任地にいて不在がちのうえ、ランボー6歳のとき以後は戻らず、兄妹とともに母一人の手で育てられた。

厳格勤勉で気位が高く、極度の敬神家であり、乾いた性格のこの母親の存在は、詩人の幼時に強い影響を及ぼした。

最初、ブルジョアの子弟の多いロサ学院に入学、2年後に市立シャルルビル高等中学校に転校し、ずぬけた秀才ぶりを発揮するが、模範的優等生として数々の優等賞を得たりしていたランボーは、1870年、若い詩人教師ジョルジュ・イザンバールが担任として赴任してきたころから、母親の期待に背いて変貌し始める。

この教師のさまざまな援助と影響下に、旺盛な読書欲を満たす一方、最初の詩作を雑誌に投稿したり、パリの詩人に送り付けたりするようになり、やがてプロイセン・フランス戦争開始で戦火が街に迫ると、生活も荒れ始め、前後3回にわたって家出して各地を放浪。

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